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東京地方裁判所 平成5年(ワ)22578号 判決

本訴原告(反訴被告)

株式会社日本入試センター

右代表者代表取締役

高宮英郎

右訴訟代理人弁護士

坂本政三

本訴被告(反訴原告)

井手茂治

右訴訟代理人弁護士

宮里邦雄

中野麻美

主文

一  本訴原告(反訴被告)の訴えを却下する。

二  反訴原告(本訴被告)の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、本訴反訴を通じ、本訴被告(反訴原告)の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  本訴

原告と被告との間に雇用契約関係が存在しないことを確認する。

二  反訴

1  反訴原告が反訴被告との間で、代々木ゼミナール広報企画部広報課チーフとしての雇用契約上の地位にあることを確認する。

2  反訴被告は、反訴原告に対し、二六五八万五四三〇円及びそのうち別紙利息債権一覧表〈略〉の「元本額(円)」欄記載の各金員に対する、対応する「遅延損害金発生日」欄記載の日以降各支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

3  反訴被告は、反訴原告に対し、平成一〇年四月以降毎月二四日限り三五万九三〇〇円及びこれに対する当月二五日以降右支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本訴原告(反訴被告)を以下「原告」といい、本訴被告(反訴原告)を以下「被告」という。

本件は、原告が、代々木ゼミナール広報企画部広報課チーフであった被告に対し浜松事務局課長への異動を命じたのに、被告がこれに従わなかったとして被告を解雇したが、解雇後も被告が雇用契約の存続を主張して争っているとして雇用契約関係不存在確認を請求し(本訴)、被告が右配転命令及び解雇が権限の濫用又は不当労働行為に当たり無効であるとして代々木ゼミナール広報企画部広報課チーフとしての雇用契約上の地位にあることの確認及び賃金等の支払を請求する(反訴)事案である。

一  争いのない事実等(争いのない事実のほか、証拠により認定した事実を含む。認定の根拠とした証拠は各項の末尾に挙示する。)

1  原告

原告は、各種入学試験等の模擬試験の実施等を目的とする株式会社であり、肩書地に本社を置き、浜松市に浜松事務局、全国の主要都市にある代々木ゼミナール関係の学校に支局を設置し、従業員三六三名(うち出向者一七五名)を有している。

原告は、学校法人高宮学園及び学校法人東朋学園とともに、いわゆる代々木ゼミナールグループを構成している。代々木ゼミナールの校舎は、代々木校、原宿校、千駄ケ谷校、池袋校、立川校、町田校、横浜校、大船校、津田沼校、柏校、大宮校、高崎校、札幌校、仙台校、新潟校、浜松校、名古屋校、京都校、大阪校、大阪南校、神戸校、岡山校、広島校、小倉校、福岡校、熊本校等がある。(〈証拠略〉)

2  本件雇用契約

(一) 被告は、昭和六〇年四月一三日、「学校法人代々木ゼミナール副理事長竹村保昭」名義で採用内定の通知を受け(〈証拠略〉)、同年五月一日付けで原告に雇用され(以下「本件雇用契約」という。)、同月二日、代々木ゼミナール総務部広報課に配属された。総務部広報課は、その後広報企画部広報課に改められ、被告は、広報企画部広報課において、代々木ゼミナールの宣伝、広報、校内機関紙作成等の業務に従事していた。

(二) 原告の給与規程(〈証拠略〉)によれば、給与の計算期間は原則として前月一六日から当月一五日までをもって締切り、毎月二四日に給与を支給することとされている。被告は、後記3の解雇の時点で、次のとおり、月例賃金の支払を受けていた。

(1) 基本給 一八万〇一〇〇円

(2) 調整給 七万七三〇〇円

(3) 役付手当 三三〇〇円

(4) 家族手当 四万円

(5) 住宅手当 二万八二〇〇円

(6) 皆勤手当 一万三六〇〇円

3  本件配転命令及び本件解雇

(一) 本件配転命令

原告は、平成五年七月三日、被告に対し「代々木ゼミナール浜松事務局課長を命ず」旨発令し(〈証拠略〉)、連絡文書により職場内に周知した。被告は、週休で自宅にいたが、同僚から連絡を受けて右発令の事実を知り、同年七月五日、出勤して右発令の事実を確認した。したがって、被告は、同年七月五日、原告から右配転命令(以下「本件配転命令」という。)の告知を受けたものというべきである。

原告は、被告に対し、同年八月四日に本件配転命令の辞令(〈証拠略〉)を交付した。

(二) 本件解雇

原告は、平成五年八月六日、本件配転命令に従わないことを理由に、同年八月九日付けをもって被告を解雇する旨決定し、この意思表示を内容とする同年八月九日付けの解雇通知書(〈証拠略〉)を作成したが、同年八月九日に被告に交付できなかったので、右同様の解雇の意思表示を内容とする同年八月九日付けの内容証明郵便(〈証拠略〉)を発送したが、受取り拒否で返戻された。そこで、原告は、同年八月一二日、担当者が被告の自宅に電話をかけて被告の妻に同年八月九日付けで被告が解雇されたことを告げて伝言を依頼した。被告は、同年八月一六日、高宮副社長に電話をかけてきたので、高宮副社長は、被告に対し、右解雇の事実を告げ、もって、原告は、被告に対し、同年八月一六日、口頭で本件配転命令に従わないことを理由に、被告を解雇する旨の意思表示をした(以下「本件解雇」という。)。

被告は、同年八月二〇日の団体交渉の席上で原告から解雇通知書を受領した。

4  就業規則の定め

(一) 原告の社員就業規則(〈証拠略〉)には、次の定めがある(原則として原文のままとした。)。

(異動)

一二条一項

会社は、社員に対して業務上必要がある場合は、社員の就労場所または従事する業務の変更を命ずる。

一二条二項

社員は指定された期日までに赴任しなければならない。

(出向)

一三条一項

会社は、社員に対して、業務の都合により関連の学園・会社へ出向を命ずることがある。

一三条二項

社員の出向については別に定めるところによる。

(解雇)

二一条

社員がつぎの各号の一に該当するときは、解雇することがある。

〈4〉 懲戒解雇に処せられたとき

〈10〉 その他前各号に準ずるやむを得ない事由があるとき

(懲戒解雇、諭旨解雇)

六七条

次の各号の一に該当する場合は懲戒解雇とする。ただし、情状により諭旨解雇にとどめることがある。

〈3〉 業務命令に従わないとき、または異動、転勤、降職等の業務命令を拒否したとき

(賞罰委員会)

七二条

表彰および懲戒処分については、その公正を期するため賞罰委員会を設ける。

(二) 原告の出向規程(〈証拠略〉)には、次の定めがある(原則として原文のままとした。)。

(出向の意義)

二条

この規程で出向とは社員が在籍のまま、命令によって一定期間他社または他学園(以下出向先という)の業務に従事するため転出することをいう。

(出向の人事発令)

四条

会社は社員を出向させる場合、人事発令の七日前に本人に内示し、出向先における労働条件、担当する業務、出向期間、その他とくに必要と認められる事項を明示して、人事発令をするものとする。

((一)、(二)につき〈証拠略〉)

二  争点

1  本件配転命令につき配転の必要性の有無

2  本件配転命令は、不当労働行為に当たり無効か。

3  本件配転命令は原告が権限を濫用してしたもので、無効か。

4  本件解雇は、不当労働行為に当たり無効か。

5  本件解雇は原告が解雇権を濫用してしたもので、無効か。

第三当事者の主張

(本訴)

一  請求の原因

1 「争いのない事実等」(第二、一)2項(一)、3項及び4項(一)(本件雇用契約、本件配転命令及び本件解雇、就業規則の定め)のとおり。

2 本件配転命令の有効性

(一) 就業規則の定め

原告の就業規則(社員就業規則)には、業務上必要がある場合は、原告が従業員の就労場所又は従事する業務の変更を命ずることができる旨の定めがある(一二条一項)。

(二) 配転の必要性

(1) 原告は、浜松市に浜松事務局を設置し、平成三年四月に代々木ゼミナール浜松(以下「浜松校」という。)を開校し、同校において通信衛星授業その他の予備校業務を営んでいる。

(2) 浜松校は、平成三年度は、大学受験本科生としてほぼ募集目標どおりの生徒数が得られるなど、順調であったが、平成四年度、平成五年度は生徒数が大きく減少し、殊に平成五年度は損益分岐点を大きく割り込んで一億円以上の赤字が生じ、浜松校の存続が危うくなった。その原因は、河合塾が浜松駅前の新築ビルに開校し、大々的な生徒募集を行って多数の大学受験本科生を獲得したことにあったが、広報活動、高校訪問による営業活動の不足、職員教育の不足という浜松校自体に内在する原因もあった。

(3) 浜松校の職員は、平成五年三月時点で一二名であったが、事務局長塩澤卓能、事務局長代理鈴木雅幸のほか、予備校業務の経験のある職員は西村昌久、古田昌巳だけであった。浜松校の広報業務は、事務局長塩澤卓能が兼務で担当していたが、新聞広告、交通広告、看板広告、電波広告、協賛広告等は行っていたものの、ダイレクトメール広告、パンフレットセットによる広告は行う余裕がなく、名古屋校に依頼してそのダイレクトメール広告に便乗するしかなかった。また、浜松校では、高校訪問は、従来西村昌久が一人で担当しており、手薄であったが、高校訪問を行うには特別な知識、経験を必要としないから、管理職の増員、若手職員に対する教育の充実、若手職員の成長により賄うことができるものであった。事務局長塩澤卓能は、代々木ゼミナールグループの本部(以下「代々木本部」という。)に対し、平成五年五月、浜松校において従前不十分であった地区別、高校別のダイレクトメール等の広報活動を拡充することが必要であること、そのためには、広報業務の経験が豊富であり、地元の強い東京志向にこたえることのできる人材として代々木本部における広報業務従事者の配置が望ましいこと、若手職員の指導、育成のために管理職一名の増員が必要であることを具申した。そこで、原告は、検討の上、同年五月中旬、広報業務のベテランで、かつ、管理職として部下を指導、育成できる人材を浜松校へ一名配転することを決定し、広報業務全般に詳しく、広報活動が的確にできる人、高校訪問をして先方から信頼されるような誠実な人、管理職として若い職員を指導、育成できる資質を持った人を基準とし、人選に入った。

(4) 人選を担当した間瀬人事部長は、代々木本部の広報企画部のほか、首都圏校、名古屋校の広報業務担当者も検討の対象としたが、首都圏校の広報業務は代々木本部で大部分を行っており、首都圏校の広報業務担当者は単なる窓口業務を経験しているにすぎず、浜松校の求める水準に達しないこと、名古屋校からは三宅貴也広報課長が候補に上がったが、浜松校事務局長塩澤卓能が代々木本部の広報担当者を強く求めていたし、三宅貴也広報課長を異動させた場合の浜松校の組織運営上等の問題、名古屋校の業務遂行上の支障が懸念されたこと等から、より人材が豊富で代替性がある代々木本部の広報企画部の広報担当者の中から人選を進め、谷内課長と被告に絞って検討した。

谷内課長は、課長として広報業務全般に関与していたが、主な担当は新聞広告、テレビ、ラジオ等の電波媒体の広告、電車の中吊り、ポスター等であり、これらのレイアウト、デザインの仕事は単独で行う作業が多く、専門的、職人的技能を必要とし、同人が転出した場合、代替がきかないという事情があった。また、谷内課長は課長として課の実務の取りまとめも行っており、就任後日が浅く、学校法人東朋学園の事務局長を兼務していた安藤広報企画部長にとって、同人の転出は大きな痛手であった。

被告は、平成五年五月当時年齢三五歳、広報企画部での勤続年数八年余のベテランで、広報業務に精通し、ダイレクトメールによる広報業務を担当し、各種アンケート、電話調査等のマーケティングリサーチにも従事したことがあったから、浜松校で必要とする広報業務の内容等からすると最も適任であった。また、同人の業務は、何人かの課員との共同作業であって代替性があり、担当業務の範囲も谷内課長に比べれば狭く、同人が転出しても後輩が育ってきているので、抜けた穴はカバーできる状態にあった。

原告は、右のような事情から被告を浜松校事務局課長に配転することを決定し、本件配転命令を発した。

3 本件解雇の有効性

(一) 被告は、赴任期限の平成五年七月一三日を過ぎても浜松に赴任せず、同月二二日に間瀬人事部長及び同月二六日に松田専務取締役から赴任するよう順次説得を受け、同月二九日には高宮副社長から、住宅については三DKの物件を既に確保し、家賃は原告が負担すること、課長手当は月三万円であること等の説明を受けて、赴任するよう説得を受けたにもかかわらず、本件配転命令が不当労働行為の疑いがあると言い出して赴任に応じなかった。

(二) 原告は、被告が本件配転命令を拒否し続けるため、就業規則七二条に基づいて賞罰委員会を設置した。委員には、高宮副社長、松田専務、青木専務、月山総務部長及び間瀬人事部長が選任された。平成五年七月二二日及び同年七月二六日の第一回及び第二回賞罰委員会では被告が説得に応じることを期待して更に説得を継続することとなったが、同年八月四日の第三回賞罰委員会では、同年七月二九日に高宮副社長が被告と話し合った結果を踏まえ、同年七月三日の本件配転命令の発令以来、原告が被告に対し再三赴任を説得し、被告の要望をできるだけ受け入れ、経済的な面、住居に関する諸条件を提示し、最大限の努力をしてきたが、被告が、配転を前向きに考えると言いながら、配転拒否を続け、その理由が、当初の、家庭の事情や経済的理由から、不当労働行為の疑いがあるとか、組合活動の継続という理由にすり替わってきており、これ以上説得しても無駄であり、また、赴任拒否による業務の停滞は限界に達しており、放置できないという意見が出され、解雇もやむを得ないという結論となった。

賞罰委員会は、被告の行為は、就業規則六七条三号の「業務命令に従わないとき、または異動、転勤、降職等の業務命令を拒否したとき」に該当し、本来ならば懲戒解雇に処すべきであるが、本人の将来を考慮し、就業規則二一条四号、一〇号を適用し、普通解雇とすることにした。原告は、賞罰委員会の結論に基づき、平成五年八月六日、被告を同月九日付けで解雇することを決定した。

4 被告は、本件解雇が無効であると主張して争っている。

5 よって、原告は、被告に対し、原被告間に本件雇用契約関係が存在しないことの確認を求める。

二  請求の原因に対する認否

1 請求の原因1の事実は認める。

2 同2(一)の事実は認め、(二)(1)の事実は認める。(2)の事実は知らない。(3)の事実のうち、浜松校の職員が平成五年三月時点で一二名であったことは認め、事務局長塩澤卓能、事務局長代理鈴木雅幸のほか、予備校業務の経験のある職員は西村昌久、古田昌巳だけであったこと、浜松校の広報業務は事務局長塩澤卓能が兼務で担当していたことは知らない。その余の事実は否認する。(4)の事実のうち、被告が平成五年五月当時年齢三五歳、広報企画部での勤続年数八年余のベテランで、広報業務に精通し、ダイレクトメールによる広報業務を担当し、各種アンケート、電話調査等のマーケティングリサーチにも従事したことがあったことは認め、その余の事実は否認する。

配転の必要性の有無(争点1)についての被告の主張は次のとおりである。(本件配転命令に関する原告の説明の不十分性)

被告は、本件配転命令の業務上の必要性や人選経過に関して問いただしたが、原告が示した姿勢は極めて不誠実なもので、浜松校における生徒数の減少に対応した市場調査と開拓が課題となっており、浜松校の人的構成を拡充する必要があったこと、そのため、広報企画部広報課においてマーケティングやダイレクトメールの業務に従事したことのある被告に白羽の矢を立てたなどと説明しただけであり、被告が浜松に赴任しなければならない理由は、「広報におけるマーケティングとDMの知識・経験を活かす」というだけにとどまった。何故浜松でそのような知識を活かす必要があるか、また、活かす機会がどこにあるか、被告が人選されるまでにどのような検討がされたのかについては、全く説明がされなかった。平成五年七月二九日には高宮法人本部長が被告と面談したが、ここでも本件配転命令の経営上の必要性や人選の経過・合理性に関する説明は何もされず、「浜松を立て直したい」、「浜松はいい市場だから井手さんのポテンシャルに賭けた」としか言わず、三DKの月額六万三〇〇〇円のマンションを貸与すること、家賃分は住宅手当を支給すること、課長手当三万円を付けるという条件を提示しただけであった。

原告が被告に対して配転理由及び人選経過を説明できなかったのは、被告を浜松に配転させなければならない合理的理由がなかったことを意味するばかりか、原告が説明する理由が、本件配転命令を正当化するために作られた理由であることを疑わせるものといわなければならず、それは、本件配転命令の真の意図が代々木本部からの被告の排除を狙った不当労働行為にあったからにほかならない。

(浜松校への人材補充の必要性の主張立証が不十分であること)

原告は、浜松校から、同校の生徒数が大きく減少したため、これを回復させるために人材の補充が求められたと主張するが、次の点で重大な疑問がある。

生徒数を減少させている地方校は浜松校以外にも多数あり、全国的に重大問題となっていた。ところが、原告は、全国三一校の地方校全体の生徒数減少とその原因の調査分析を行わずに、浜松校からの要請を受けたというだけでこれに応じたというのである。なぜ、浜松校だけに住居費等でコストのかかる転居を伴う本件配転命令によって増員することにしたのか、原告の説明には具体性も合理性もなく、経営上の必要性を裏付けるに足りる原告の主張立証はない。原告による学校設立は浜松校以外にも先例があり、サテラインによる授業も全国三一の校舎で実施されてきたもので、浜松校だけの特殊事情ではない。浜松校では生徒数が激減したからというが、実数でいうと、他校に比して浜松校の生徒数の減少はわずかであると思われる。

浜松校の生徒数減少の対策としてダイレクトメールとマーケティング、ひいては広報業務全般に力を入れなければならないという原告の説明は、一般論でしかなく、浜松校においてどのような知識・経験を有する人材が求められたのか、具体的な説明が不十分である。

広報業務の基本的方針は、代々木本部で決定され、地方校はこれに従って広報業務を処理することになる。ダイレクトメール業務も同様で、イメージコピー、デザイン、ダイレクトメールツールの内容から封筒デザインに至るまで代々木本部で決定し、地方校は、これを基に地方校固有の情報を掲載して配布することになる。ダイレクトメールの送付先はオンラインシステムが構築されているので、地方校からでもこのオンラインシステムにアクセスするだけで必要な情報を取り出すことができる。また、浜松校のダイレクトメール発送作業は、名古屋校と一体で行われていたが、これは経費の節約につながり、合理的な方法であった。

浜松校の生徒数減少の対策としては、高校訪問の態勢を強化して予備校業務本来の生徒指導の実を上げることが最も重要となる。浜松校では従来一人で高校訪問を行っていたというのであるから、全員で高校訪問に取り組む態勢を作ることが肝要であったはずである。経費を増大させる一名増員に合理性があったとは言えない。

原告は、高校訪問の態勢強化のためにも若手を指導できる人材が必要であったというが、あくまで一般論にとどまる。原告は、コスト増を覚悟してまでも、浜松校に新たに管理職のポストを設けて部下の指導に当たらせなければならない必要性と合理性について何ら具体的な説明をしない。仮にこの点をおくとしても、高校訪問の態勢強化のために若手を指導できる人材としては、高校訪問の実績や管理職の経験のある人材である必要があろう。

原告は、生徒が東京志向であるから、東京からの人材が求められたと主張するが、情報があふれている今日の時代にそのような理由に合理性はない。浜松校開設に際して配属された人材は、東京からは高校訪問を専門にしていた原告の職員一人だけであり、他は大阪と名古屋から人材を投入した上、現地で採用しているのであって、このような過去の人事から見ても、右のような理由の合理性は疑わしい。原告は、本件解雇以前から、被告が本件配転命令を拒否したときには、名古屋校の三宅を充てると決定していたのであり、東京本部にこだわって被告以外の人材を浜松に投入すべく検討した形跡は皆無である。要するに、東京本部の人材であることは必要ではなかった。

(人選の不合理性)

被告は、原告に採用されて以来、一貫して代々木本部で広報業務に従事してきたが、そのほとんどを占めていたのはいわゆるダイレクトメール業務であった。被告は、その本部機能のほか、首都圏を統括する業務を担当してきた。被告には、高校訪問の経験もなければ、生徒指導の経験もなく、管理職の地位になかったので、部下を指導してきた経験も皆無であった。

被告は、高校名簿のオンラインシステムの構築と、これによる情報の収集・管理に携わってきた。被告は、平成四年八月に電話によるマーケティングを実施して、ダイレクトメールの広告評価に関する情報を収集し、これを分析評価して受験生に対する販売促進のための基本戦略を打ち出し、一二月には広報企画部担当者と理事長を交えた検討会議に提案した。その結果、ダイレクトメールと電話による二本立てですべての生徒に販売促進のために働きかけてみるという方針が決定され、三億五〇〇〇万円の予算が計上されることになった。このプロジェクトは平成五年春に大規模に実施され、集積されたデータは四五万件に及んだ。次には集積されたデータを評価する業務に移行していくはずであった。その分析評価業務に移行する途上で、本件配転命令が発せられた。

右のようなダイレクトメール業務を中心とする広報企画業務を通じて被告が蓄積してきたノウハウや経験は、その基本的性格から地方校で活かすことができるようなものでは毛頭なく、むしろ、全国の情報を見渡し、収集する機能を有する本部でなければ発揮できないものであった。ダイレクトメールを推進するメインの高校名簿オンラインシステムを開発してきた被告のノウハウを短期間で後任者に引き継ぐことは全く不可能であった。

以上のように、被告は、原告が浜松校において必要としている人材の条件さえ満たしていない。原告が主張する人材の条件に最もふさわしい者は、河合塾の本拠地である名古屋校で広報、高校訪問、部下の指導に経験を積んできた三宅以外にはなかった。しかも、三宅は、自宅は隣接する愛知県にあり、独身であった。

(本件解雇後の広報企画部広報課と浜松校における業務遂行状況)

広報企画部広報課で被告の業務を引き継いだ西岡は、ダイレクトメール発送業務の処理に当たり、その都度被告の指示を受けなければならない状況が続いた。被告が開発してきた高校名簿オンラインシステムの活用によるデータ収集・管理の業務は、西岡には手に負いかねる状況であったし、オンラインシステムをベースにして、受験生のニーズを把握し(マーケティング)、多様な情報をデータ処理して効果的な販売促進につなげるというダイレクトメール開発業務の遂行は全くできなくなった。特に、すべての生徒に販売促進のために働きかけてみるという方針の下にダイレクトメールと電話による二本立てで四五万件に及ぶデータが集積されたところであったが、その分析と評価を行えないままとなり、三億五〇〇〇万円の投資は無に帰した。

他方、浜松校では、三宅が赴任し、担当エリアを拡大して高校訪問を実施し、翌年には生徒数を回復することができた。三宅こそが適任者であったことが実績によって裏付けられた。

3 同3(一)の事実は認め、(二)の事実は知らない。

本件配転命令には配転の必要性がないから無効であり、また、本件解雇は本件配転命令に従わなかったことを理由とするものであるから、無効である。

4 同4の事実は認める。

5 同5は争う。

三 抗弁

1 本件配転命令の権限濫用

(一) 生活上被る不利益

本件配転命令当時、被告は、妻ひろ美及び三人の子並びに被告の両親と現住所の一軒家に同居していた。三人の子は、長男健太郎が小学校三年生、長女加奈子が小学校一年生及び生後二箇月の次女美早であり、子供たちを育てるには被告と妻が力を合わせることが必要であった。七〇歳になる父と六三歳の母は、地域の中でボランティア活動や政治活動に従事することを生きがいとするようになり、忙しい毎日を送っていた。そのため、家事や育児は妻ひろ美が主に責任を負っており、被告は、帰宅すると、子供の勉強を見たり、家事を手伝ったりしていた。被告は、妻ひろ美の出産後は、それまで以上に二人の子供たちの面倒を見たり、家事を手伝わなければならなかった。

三年前に寮の管理人を辞した両親と同居するため、被告は、一軒家を増築しており、ローンの支払を負担しなければならなかった。当時の被告の手取り賃金は、月額二八万六九〇〇円であるが、毎月のローン返済額が八万円であり、食費、光熱費、教育費、保険医療費等の生計に必要な出費が毎月最低でも二一万円を要する状態であった。恒常的な生計費は月例賃金で賄うことはできず、夏及び冬に支給される一時金で補填していた。父親の年金は、両親のささやかな楽しみと、両親に万が一のことがあったときの準備のため必要であり、これを頼りにするわけにはいかなかった。

一家そろっての浜松転居は、高齢な両親の地域での活動の楽しみを奪うことになり、生活環境を激変させるもので好ましくなかった。また、原告が用意した社宅も、当初は二DKであり、最終的には三DKを提示したものの、被告一家には手狭であった。

被告の両親が東京に残る形で被告が妻子とともに浜松に転居することは、両親に何かあったときに被告らに大きな負担を強いるものであり、二重生活による支出の増加によって生計の維持を不可能にするものであった。

被告の単身赴任は、右同様二重生活により生計の維持を不可能にするものであったし、妻の負担を甚大にするもので耐えられなかった。

(二) 労働組合活動に及ぼす不利益

被告は、労働組合結成の中心メンバーであったことから、東京ユニオン代々木ゼミナール支部支部長の役職にあった。当時は、立ち上げたばかりの代々木ゼミナール支部を労働組合に育てていく重要な時期であり、被告は、役割を十分に発揮することを求められる立場にあった。本件配転命令は、被告の労働組合活動を不可能にするものであった。

(三) 本件配転命令は、被告に対し、右のとおり重大な不利益を強いるものであるが、それだけの経営上の必要性も人選の合理性もないから、原告の権限濫用によるもので無効である。

2 解雇権の濫用

(一) 1で述べたとおり、本件配転命令は原告の権限濫用によるもので無効であるから、本件配転命令に応じないことを理由とする本件解雇は、解雇権の濫用により無効である。

(二) 原告は、従業員に対して不利益を余儀なくさせる配転命令を発するには、事前に打診して話合いの機会を持ち、又は仮に事後であっても、業務上、経営上の必要性並びに人選の基準及びその経過を具体的に説明すべき信義則上の義務を負う。しかるに、原告は、被告を採用するに当たって勤務地を特定していたにもかかわらず、右義務を怠り、本件配転命令に従わないとして本件解雇に及んだものであって、本件解雇は、著しく信義にもとるから、権限濫用により無効である。

3 本件配転命令の不当労働行為による無効

(一) 被告らは、平成四年五月八日東京一般労組に加入したが、同労組は不況のあおりで多忙であったため、被告らは、同年一一月二八日に札幌校の組合員と会合を持った後、同年一一月三〇日東京一般労組を脱退し、同年一二月九日東京ユニオンに加入した。東京ユニオンは、平成五年四月六日「代々木ゼミナールグループ支部対策会議」を設置し、同年四月二〇日には労働組合としての一〇項目の要求を決め、組織作りを展開し、新たな組合員を獲得していった。また、組合役員などの体制も決定し、被告は支部長に就任した。

(二) 平成五年七月三日に被告に対する本件配転命令及び副支部長相良由樹子に対する立川校副校長秘書への出向命令が発表された。東京ユニオンは、この人事は組合つぶしであると判断し、同年七月一一日支部の公然化を決定し、同年七月一二日、酒井委員長、高井書記長が被告らとともに、労働組合結成通知書及び要求書を携えて代々木ゼミナールに赴いた。原告の月山総務本部長は、労働組合結成通知書等の受け取りを拒否した上、組合役員の写真を撮った。そこで、東京ユニオンは、同日東京都地方労働委員会に対してあっせんを申請し、その後団体交渉が行われるに至った。しかし、あっせんは不調に終わり、被告、相良及び組合は、平成五年八月九日、東京都地方労働委員会に対し不当労働行為救済命令申立てを行い、併せて実効確保措置勧告の申立てを行った。原告は、支部公然化後、反組合的な言動をした。

(三) 原告は、遅くとも平成五年七月一日ころまでには被告が中心になって労働組合結成の準備等を行っていることを認識し、労働組合結成に打撃を与えようとして、被告が労働組合を結成しようとしたことの故をもって本件配転命令を発したものであるから、本件配転命令は労働組合法七条一号及び三号の不当労働行為に該当し、無効である。

4 本件解雇の不当労働行為による無効

3で述べたように、本件配転命令は不当労働行為に該当して無効であるから、本件配転命令に従わないことを理由にされた本件解雇もまた無効である。

四 抗弁に対する認否

1 抗弁1(本件配転命令の権限濫用)(一)(生活上被る不利益)の事実のうち、本件配転命令当時、被告が妻ひろ美及び三人の子並びに被告の両親と現住所の一軒家に同居していたこと、当時の被告の手取り賃金は月額二八万六九〇〇円であったこと、原告が用意した社宅は、当初二DKであり、最終的には三DKを提示したことは認め、その余の事実は知らない。本件配転命令当時被告の両親は少なくとも月額三〇万円の厚生年金を受給していたものと推測される。両親は、被告の家族と別居しても十分生活していけたはずである。被告の妻は職業を持たず、被告が妻子と共に浜松に赴任することは可能であったし、被告が単身赴任することもできたはずである。また、原告は、住宅手当を月額二万八〇〇〇円から月額四万円に増額した上、足りない部分については全額負担することとし、さらに課長手当月額三万円を支給することとして被告の経済的負担に対する配慮をしたのであるから、被告の経済的負担の増大を理由とする被告の主張は成り立たない。(二)(労働組合活動に及ぼす不利益)の事実は知らない。(三)は争う。

2 同2(解雇権の濫用)(一)は争う。(二)の事実のうち、原告が被告を採用するに当たって勤務地を特定していたことは否認し、主張は争う。

3 同3(本件配転命令の不当労働行為による無効)(一)の事実は知らない。(二)の事実のうち、平成五年七月三日に被告に対する本件配転命令及び副支部長相良由樹子に対する立川校副校長秘書への出向命令が発表されたこと、東京ユニオンが、同年七月一二日、酒井委員長、高井書記長が被告らとともに、労働組合結成通知書及び要求書を携えて代々木ゼミナールに赴いたが、原告の月山総務本部長がその場では労働組合結成通知書等の受け取りを拒否したこと、東京ユニオンが東京都地方労働委員会に対してあっせんを申請し、団体交渉が行われるに至ったことは認め、その余の事実は否認する。(三)は争う。

4 同4(本件解雇の不当労働行為による無効)は争う。

(反訴)

一  請求の原因

1 「争いのない事実等」(第二、一)1項から4項まで(原告、本件雇用契約、本件配転命令、本件解雇及び就業規則の定め)のとおり。

2(一) 原告においては、毎年四月に基本給部分と調整給部分とに一定の比率を乗じて昇給が行われることになっており、平成六年度以降平成九年度に至るまで毎年四月に昇給が行われてきた。昇給率は、平成六年度は平均三パーセント、平成七年度は平均一・五パーセント、平成八年度及び平成九年度は平均各一パーセントであった。

(二) 被告も、本件解雇がなければ、少なくとも右各昇給率による昇給措置を受けたはずであるから、被告の平成六年度以降の基本給及び調整給の合計額は、平成六年度で二六万五一〇〇円、平成七年度で二六万八九〇〇円、平成八年度で二七万一五〇〇円及び平成九年度で二七万四二〇〇円となる。これに1で引用する「争いのない事実等」2(3)から(6)までの各手当を加算した合計額が、各年度において支払われるべき月例賃金額である。平成五年九月から平成一〇年三月まで毎月二四日に支払われるべき月例賃金額は、別紙「利息債権一覧表」1から5までの「元本額(円)」欄に記載するとおりである。

3(一) 原告においては、毎年六月末日と一二月末日に一時金が支給されることになっており、平成六年度以降平成九年度に至るまでに他の職員に対して支給された一時金の算定基準は、別紙「一時金支給基準及び支給金額一覧表」〈略〉記載のとおりである。

(二) 被告も、本件解雇がなければ、他の職員と同じ算定基準に基づいて平成五年度年末以降毎年六月末日と一二月末日に一時金が支給されたはずであり、その金額は、別紙「一時金支給基準及び支給金額一覧表」記載のとおりである。

4 よって、被告は、原告に対し、本件雇用契約に基づき、被告が原告との間で、代々木ゼミナール広報企画部広報課チーフとしての雇用契約上の地位にあることの確認を求め、並びに本件解雇の日である平成五年八月一六日から平成一〇年三月一五日までの間の月例賃金及び一時金合計額二六五八万五四三〇円(別紙「利息債権一覧表」1から5までの「元本額(円)」欄記載の各金員に基づいて対応する期間の月例賃金額を算出し、これらの合計額に別紙「利息債権一覧表」6から14までの各一時金合計額を加えた額)並びにそのうち別紙「利息債権一覧表」の「元本額(円)」欄記載の各金員に対する、対応する「遅延損害金発生日」欄記載の日以降各支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金並びに平成一〇年四月以降毎月二四日限り月例賃金三五万九三〇〇円及びこれに対する当月二五日以降右支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1 請求の原因1の事実は認める。

2 同2(一)の事実は認め、(二)は争う。

3 同3(一)の事実は認め、(二)は争う。

4 同4は争う。

三  抗弁

1(一) 「争いのない事実等」(第二、一)3項及び4項(一)(本件配転命令及び本件解雇、就業規則の定め)のとおり。

(二) 本訴請求の原因2及び3の事実のとおり。

2(一) 被告は、本件解雇後、他所に就労し、収入を得てきている。その収入額は、住宅ローンを契約どおり返済してきたことを見ても、原告で得ていた収入に近いものと推測される。平成七年九月以降は、被告は、東京日石オートガス株式会社に正社員の主任として勤務し、月例賃金は手取りで三一万円から三二万円程度、ボーナスは年間で月例賃金の三箇月分から四箇月分程度を受給している。すなわち、被告の年間収入は、手取り額で四六五万円から五一二万円に達する。

(二) 右金額相当額は、被告の請求する月例賃金及び一時金から中間収入として控除されるべきである。

四  抗弁に対する認否

1 抗弁1(一)の事実は認める。(二)の事実に対する認否は本訴請求の原因2及び3の事実に対する認否と同一である。

2 同2(一)の事実のうち、被告が平成七年九月以降東京日石オートガス株式会社に正社員の主任として勤務し、月例賃金は手取りで三一万円から三二万円程度、ボーナスは年間で月例賃金の三箇月分から四箇月分程度を受給していることは認める。(二)は争う。

本件解雇は、不当労働行為に当たり、また、本件解雇に至る経緯も信義にもとるものである。他方、被告は、本件解雇の効力を争って今日に至っているが、生計を維持するために働かざるを得ず、大きなハンディを自らの努力で克服して職に就いた。

右の事実によれば、原告が指摘する収入は、本件解雇によって自動的に被告が受けられる性質のものではないから、労務を提供すべき債務を免れたこととの間に因果関係がないものというべきであるし、原告が不法な意図の下に本件解雇に及んでおきながら、被告が受けた収入を賃金額から控除することを認めることは、信義則上、到底容認できない。

最高裁昭和三七年七月二〇日第二小法廷判決・民集一六巻八号一六五六頁は、使用者の責めに帰すべき事由によって解雇された労働者が解雇期間内に他の職について利益を得た場合、使用者が、労働者に解雇期間中の賃金を支払うに当たり右利得金額を賃金額から控除することはできるが、その限度は、平均賃金の四割の範囲内にとどめるべきであると判示しているが、本件のような事案では、そもそも控除自体容認できないものというべきである。

五  再抗弁

本訴抗弁1から4までに同じ。

六  再抗弁に対する認否

本訴抗弁1から4までに対する認否に同じ。

第四当裁判所の判断

一  本訴の適法性について

原告は、本訴において原告と被告との間に雇用契約関係が存在しないことの確認を請求しており、この請求は、原告に本件雇用契約に基づく賃金及び一時金の支払義務のないことのほか、被告が本件雇用契約上の権利を有する地位にないことの確認を求めるものである。

そうすると、本訴は、反訴請求である本件雇用契約に基づく賃金及び一時金の支払請求並びに被告が本件雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認請求(代々木ゼミナール広報企画部広報課チーフとしての雇用契約上の地位にあることの確認請求は、本件雇用契約上の権利を有する地位にあることに加えて、職務上の地位の確認を求める請求であると解するのが相当である。)の反対形相としての消極的確認の訴えにほかならず、反訴請求の当否の判断にすべて吸収される関係にあるから、原被告間の本件雇用契約の存否をめぐる法的紛争を解決する有効適切な手段であるということはできず、確認の利益を欠くといわざるを得ない。

よって、本訴は不適法な訴えであるから、却下する。

二  反訴請求の当否について

1  配転の必要性の有無について(争点1)

(一) 浜松校の管理職増員の必要性について

証拠(〈証拠・人証略〉)によれば、原告が、平成三年一月浜松市に浜松事務局を設置し、事務局長に代々木ゼミナール名古屋校から異動させた塩澤卓能、事務局長代理に代々木ゼミナール名古屋校から異動させた鈴木雅幸を充てたほか、東京から西村昌久、代々木ゼミナール名古屋校から古田昌巳を異動させ、以上四名の予備校業務の経験のある職員を中心に、同年二月一日から業務を開始させ、同年四月に浜松校を開校し、以来同校において大学受験予備校、中学、高校の補習授業、模擬試験、通信衛星授業等の業務を営んでいること、職員は右四名のほかは現地で採用し、同年一二月には合計九名、平成四年四月には生徒管理を強化すべく合計一二名に増員したこと、浜松校は、平成三年度は、大学受験本科生としてほぼ募集目標の五〇〇名に近い四九四名の生徒数が得られるなど、順調であったが、平成四年度は三〇二名、平成五年度は一六九名と、生徒数が大きく減少し、殊に平成五年度は、河合塾が浜松駅前の新築ビルに開校し、大々的な生徒募集を行って多数の大学受験本科生を獲得したため、浜松校の生徒数は損益分岐点を大きく割り込む事態となったこと、浜松校では、従来、西村一人で五三校の高校訪問を行い、塩澤事務局長が兼務で広報業務を行っていたため、高校訪問による営業活動、広報活動が十分とはいえなかったこと、職員教育の不足という浜松校自体に内在する原因もあったこと、そこで、事務局長塩澤卓能は、高校訪問による営業活動とダイレクトメールを中心として広報活動を強化し、現地採用者の指導育成の観点から、浜松校に管理職を一名増員する必要があると考え、代々木本部に対し、平成五年五月、右の事情を具申したこと、原告は、平成五年五月中旬、この申出に理由があると判断し、高校訪問による営業活動と広報活動の態勢強化のために浜松校に管理職一名を増員することを決定したこと、以上の事実を認めることができる。

右事実によれば、原告において浜松校に管理職を増員する経営上の必要があったことは、これを肯定することができる。

被告は、生徒数を減少させている地方校が浜松校以外にも多数あるのに、浜松校だけについては何故に住居費等でコストのかかる転居を伴う本件配転命令によって増員することにしたのか、具体的、合理的な経営上の必要性を裏付けるに足りる事情の主張立証がないこと、原告による学校設立は浜松校以外にも先例があり、サテラインによる授業も全国三一の校舎で実施されてきたもので、浜松校だけの特殊事情ではないこと、実数でいうと、他校に比して浜松校の生徒数の減少はわずかであると思われること、浜松校の生徒数減少の対策としてダイレクトメールとマーケティング、ひいては広報業務全般に力を入れなければならないという原告の説明は、一般論でしかなく、浜松校においてどのような知識・経験を有する人材が求められたのか、具体的な説明が不十分であることを主張する。

しかしながら、浜松校の生徒数が平成四年度、平成五年度に大きく減少し、競争相手の予備校の進出に対抗する必要が生じたために、原告が、塩澤事務局長の具申に基づき、浜松校において高校訪問による営業活動、広報活動の態勢を強化し、現地採用者の指導育成の観点から、浜松校に管理職を一名増員する必要があると判断したことに、経営上著しい不合理性があるということはできず、被告の主張は理由がない。

(二) 人選の合理性について

証拠(〈証拠・人証略〉)によれば、浜松校に配転する候補として、広報業務全般に精通し、高校訪問をして先方から信頼されるような誠実な人柄で、管理職として若い職員を指導できる資質を持った人を基準として人選が進められたこと、人選の対象は代々木本部の広報企画部に限られなかったが、首都圏校の広報業務は代々木本部で大部分を行っているため、首都圏校の広報業務担当者は広報業務に精通しているとはいえなかったこと等の理由から、結局、代々木本部の広報企画部の谷内課長及び被告に絞って検討されたこと、二人のうちでは、職務の内容、課のとりまとめの役割の面から見て、谷内課長の方が被告よりも抜けた場合の穴が大きいと判断されたこと、被告は、年齢三五歳、広報企画部での勤続年数八年余のベテランで、広報業務に精通し、ダイレクトメールによる広報業務を担当し、各種アンケート、電話調査等のマーケティングリサーチにも従事したことがあったことから、浜松校に増員する管理職に適任であると判断されたこと、こうして平成五年六月下旬、被告を浜松校に配転することが決定されたこと、以上の事実を認めることができる。

被告は、代々木本部で広報業務に従事してきたが、そのほとんどがいわゆるダイレクトメール業務であり、首都圏を統括する業務も担当してきたものの、高校訪問の経験もなければ、生徒指導の経験もなく、管理職の地位になかったので、部下を指導してきた経験も皆無であったこと、被告は、高校名簿のオンラインシステムの構築とこれによる情報の収集・管理に携わり、ダイレクトメールと電話による二本立てですべての生徒に販売促進のために働きかけてみるという方針の下に、三億五〇〇〇万円が投じられ、集積データ四五万件に及ぶプロジェクトの実施途上にあったこと、右のようなダイレクトメール業務を中心とする広報企画業務を通じて被告が蓄積してきたノウハウや経験は、その基本的性格から地方校で活かすことができるようなものでは毛頭なく、むしろ、全国の情報を見渡し、収集する機能を有する本部でなければ発揮できないものであったこと、ダイレクトメールを推進するメインの高校名簿オンラインシステムを開発してきた被告のノウハウを短期間で引き継ぐことは全く不可能であったことを根拠に、本件配転命令は人選の合理性がないと主張する。

証拠(〈証拠略〉及び被告(反訴原告)本人)によれば、被告が手掛けてきた業務の大半は、地方校での広報業務とは質的に異なる全国規模のものであったが、被告は、そのような全国規模の業務遂行として、ダイレクトメールを推進するメインの高校名簿オンラインシステムの開発に携わり、モニタリングを担当し、あるいはダイレクトメールと電話による「販売促進」(PR)とを一体化した広報活動を企画、立案し、決裁を取って実施に漕ぎ着ける等、重要なプロジェクトの企画、立案、実施等に関与し、種々のノウハウを身に付けてきたことを認めることができる。

しかして、被告は、このような業務を遂行することによって得難い経験を積んでいるのであって、このような経験は、被告が地方校で広報業務に取り組む際にも有益であり、被告は、規模は小さくなるとはいえ、新たな職務に企画力、実行力を活かして積極的に取り組んでいくことが可能であったはずである。被告が地方校ではそれまでの業務上の経験を活かすことができないということには、十分な根拠がないといわざるを得ない。また、被告に高校訪問の経験、生徒指導の経験、部下を指導してきた経験がなかったことも、それが、新たにそのような経験をすることの障害となるようなものではなく、被告は、むしろ、新たな経験を積むことによって一層能力の幅を広げることができたはずである。さらに、ダイレクトメールを推進するメインの高校名簿オンラインシステムを開発してきた被告のノウハウを短期間で引き継ぐことに困難が伴ったとしても、原告が、その不利益を考慮してもなお、経営上の必要から、被告を浜松校に配転させることを選択することは、経営、人事に関する原告の裁量の範囲内ということができる。

原告が、前記のように判断して被告を浜松校事務局課長に配転することを決定したことには合理性があり、被告の主張は理由がない。

2  本件配転命令と不当労働行為について(争点2)

(一) 1で述べたように、本件配転命令につき配転の必要性はあるが、仮に原告に不当労働行為意思も競合して認められるときは、不当労働行為の成否は、そのいずれが決定的動機であったかによって判断すべきである(最高裁昭和六〇年四月二三日第三小法廷判決民集三九巻三号七三〇頁(日産自動車救済命令取消請求事件)参照)。

労働組合法七条一号にいう「不利益な取扱」に当たるかどうかは、使用者の当該行為が、対象となる労働者個人の雇用契約上の権利ないし利益を侵害するかという観点だけでなく、他の労働者らの組合活動意思を萎縮させる等、労働者らによる組合活動一般を抑圧ないし制約するものであるか否かの観点からも判断するのが相当である。

本件配転命令は、被告を浜松校事務局課長に昇進させるものではあるが、反面、被告から代々木ゼミナール広報企画部広報課チーフとしての職務上の地位を喪失させるものであり、仮にこれが被告が労働組合を結成しようとしたことの故をもってされたとすれば、他の労働者らによる組合活動一般を抑圧ないし制約するものであることを否定することはできないから、本件配転命令は労働組合法七条一号にいう「不利益な取扱」に当たるものと解するのが相当である。

(二) そこで、本件配転命令につき原告に不当労働行為意思があったか否かについて検討する。

(1) (証拠・人証略)及び被告(反訴原告)本人尋問の結果によれば、被告は、平成三年一一月、札幌校に労働組合が設立されたことを知り、職員の意見を反映させるには労働組合を作る必要があると次第に考えるようになったこと、被告は、平成四年五月八日、他の四名とともに東京一般労働組合を訪れ、組合に加入するに至ったこと、被告らは、東京一般労働組合の指導を受けながら、仲間を増やすための説得活動及びそのためのリストアップを進め、組合に関する学習会と情報報告会を繰り返したこと、オルグ対象者のリストが完成したので、被告は、同年九月一〇日付けで「N・S・研究会」名義で「代々木校にニューウェーブをおこそう」と題する文書を作成し、代々木校の一部の職員にその内容を話し、あるいは手渡す等してモニタリングを開始したこと、東京一般労働組合は折からの不況で多忙となり、代々木ゼミナールの労働組合設立に手が回らないようになってきたため、被告らは、紹介を受けて個人加盟の東京ユニオンに接触したこと、同年一一月、代々木ゼミナールにおいて、「職員の現在担当している職務に対する意見・評価、今後担当したい職務についての希望等を把握することにより、職員の能力開発および適正配置、研修教育等の資料とする」という目的で自己申告制度が実施されることになり、被告も自己申告書に記入して同年一一月一六日ころ提出したこと、被告は、自己申告書の勤務地に関する欄には、「転居を伴う転勤はできない」という項目に丸を付けたこと、同年一一月二八日、東京で札幌校の組合員と代々木校の組合員が集まり、「全国代々木ゼミナール労働組合連合会結成総会」を開いたこと、被告らは、東京一般労働組合に属しているままでは代々木校に労働組合を結成する機を逸することになるのではないかと懸念し、同年一一月三〇日に東京一般労働組合から脱退し、同年一二月九日東京ユニオンに加入したこと、広報企画部所属の小笠原樹也(以下「小笠原」という。)はこの頃から労働組合の設立活動に積極的に参加するようになったこと、被告らは、労働基準法、労働組合法の勉強会を繰り返し、組合結成委員会の発足を準備し、平成五年一月七日には組合に参加する仲間を募るきっかけを作るために各種イベントを計画したこと、相良由樹子が同年二月ころから被告らの活動に参加するようになり、小笠原も同年二月二五日に東京ユニオンに加入したこと、同年三月三日に原告の間瀬人事部長から被告に対し、広報課の業務について聞きたいという面談の申入れがあり、同年三月九日に被告が同部長と面談したこと、同部長は面談の中で札幌校の組合の件に言及し、また、被告に配転の意思を尋ねたこと、被告らは、組合に参加する仲間を募るためのイベントを催すこととし、小笠原が同期会、花見の会及びボウリング大会を企画し、小笠原を責任者、連絡先とするチラシを作成して、同期会のチラシ(〈証拠略〉)及び花見の会のチラシ(〈証拠略〉)並びに氏名、所属部課、内線番号、住所及び電話番号等の記入欄のある「皆行大東京夜桜観賞周遊 申込書」と題する申込書(〈証拠略〉)とを同年三月一一日ころに各セクションの知合いを通じて配布したこと、こうして、同年三月一九日に同期会が、同年三月二六日に花見の会がそれぞれ開催されたこと、同期会開催後、三鳩社の杉尾専務が参加者の人数や小笠原について職員に尋ねたこと、同年三月二三日、広報企画部広報課谷内課長が小笠原に対し、「花見の会のチラシと申込書の件で部長連中が続々代々木に集まってきている、お前は大丈夫か。」と述べたこと、同日、安藤部長が小笠原に対し、花見の会のチラシと申込書を示して、「何人くらい来るのか、申込書は何に使うのか、まずいな。」と述べたこと、同日午前中にまず被告が同年三月二六日の有給休暇を請求した際には、安藤部長は何も述べなかったが、その日の午後に小笠原が三日後の花見の会の場所取りのため有給休暇を請求した際、安藤部長は業務上の支障と自分の管理能力に言及して難色を示したこと、しかし、安藤部長は、結局、時季変更権を行使しなかったこと、同年三月二五日、被告や小笠原らが就業後、翌日の花見の会の打合せをしていた場所に安藤部長が来て、参加者のリストをくれと求めたこと、同年三月二六日、安藤部長が杉山に花見の会の席上で参加者の写真を撮ってくれと依頼し、杉山がこれに応じて写真を撮ったこと、被告が誘ったことから安藤部長も花見の会に参加したが、参加者一人一人が自己紹介を兼ねて挨拶を始めると、安藤部長がメモを取っていたこと、杉山が撮った写真は小笠原が現像したが、安藤部長に求められなかったため、そのまま小笠原が持っていること、同年四月六日、東京ユニオンに「代々木ゼミナールグループ支部対策会議」が設置され、同年四月二〇日一〇項目要求が確定されたこと、被告は、それ以後、代々木校の中で説得活動を開始したこと、同年四月二二日、被告は、相良とともに、原告所属の鎌田、教科編集部の小幡と組合設立方法について協議したが、物別れとなったこと、同年四月二七日、被告らは労働組合設立のための拠点となる事務所を確保したこと、同年五月一三日に被告が代々木ライブラリーの田中常務から、三鳩社の杉尾専務が被告のことをマークしている、気を付けるようにと注意を促されたことがあったこと、同年五月二六日、三六協定の締結に当たって、労働者の代表を集めることになり、被告は、立候補して代々木校の労働者の代表になったが、同日午後、被告の所属が原告であるという理由で、代々木校の代表でなく原告の代表に横すべりしたこと、被告は、このことで月山総務本部長に抗議したこと、同年六月二九日に被告らが代々木にある「酒場のドン」という居酒屋で飲酒をし、組合設立の話が盛り上がったことがあったが、後日、原告人事課の奥村課長代理がその際の参集者について職員に尋ねたことがあったこと、同年七月一二日、東京ユニオンの酒井委員長、高井書記長、被告、相良、小笠原らが組合結成の通知書等(〈証拠略〉)を持参して総務部月山本部長に面会に行き、説明を始めようとしたが、月山本部長は、話が違うと文句を言って高井書記長らの話を聞こうとせず、机の引き出しからインスタントカメラを取り出して東京ユニオンの酒井委員長、高井書記長の顔写真を撮ったこと、以上の事実が認められる。

(人証略)の証言中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らしてたやすく採用することができず、他に右認定に反する証拠はない。

(2) 平成五年三月二三日、午前中に被告が同年三月二六日の有給休暇を請求した際には、安藤部長は何も述べなかったが、その日の午後小笠原が三日後の花見の会の場所取りのため有給休暇を請求した際、安藤部長は業務上の支障と自分の管理能力に言及して難色を示したことは、前記のとおりである。この点に関し、原告の提出した証拠と被告の提出した証拠とで食い違いがあるので、次に検討する。

(人証略)は、同年三月二六日が春期講習会の初講日に当たっており、生徒が多数来校するので、できれば休まないでほしい、たかが花見の場所取りのためにDM担当者が二人そろって休むのは適当ではない、業務がストップしてしまう、申請があればなんでも許可するのでは管理能力を問われるであろうと述べたが、結局許可したと供述している(〈証拠略〉)。また、(証拠略)中にも同旨の記載がある。

しかしながら、安藤部長としては、本当に業務の正常な運営が妨げられることになるのであれば、広報業務の責任者として、時季変更権を行使すべき職務上の義務があったというべきであるから、結局時季変更権を行使しなかったことは、業務上の必要性が顕著ではなかったことを物語っているものであり、それにもかかわらず、安藤部長が小笠原に対し、自分の管理能力に言及して年次有給休暇の取得に難色を示したのは、広報課所属の小笠原が責任者、連絡先となって花見の会が催されることについて安藤部長の管理能力が上層部から問われたことを意味するものと理解する方が合理的である。

そうすると、代々木ゼミナールの上層部は、平成五年三月二三日の時点で、小笠原が企画した花見の会が開催されることを既に把握しており、前記の花見の会のチラシ及び申込書のことを知っていたものと考えられ、安藤部長も同日の時点で同様の知識を有していたものと考えられるから、同年三月二三日、広報企画部広報課谷内課長が小笠原に対し、「花見の会のチラシと申込書の件で部長連中が続々代々木に集まってきている、お前は大丈夫か。」と述べたこと、同日、安藤部長が小笠原に対し、花見の会のチラシと申込書を示して、「何人くらい来るのか、申込書は何に使うのか、まずいな。」と述べたことを内容とする(証拠略)及び被告(反訴原告)本人尋問の結果(〈証拠略〉)は、これを裏付けるに足りる事実があるから採用することができる。

右認定に反する(証拠略)の記載及び(人証略)の証言は採用することができず、他に前記認定に反する証拠はない。

(3) (1)の認定に関し、(証拠略)(陳述書)の記載中には、杉尾栄一が、代々木ライブラリーの常務であった田中と電話で話をしたところ、田中は、被告と食事をしたことはあったが、三鳩社の杉尾専務が被告のことをマークしている、気を付けるようにという話をしたことはないし、するはずもない、唐突に根も葉もない話を作り上げたようだが、どういうつもりなのかと述べたとの部分がある。

右証拠によれば、田中が杉尾栄一に電話で右のような話をしたことは認められるが、杉尾栄一も田中も証人として証言したものではなく、反対尋問の対象となっていないから、その証明力は十分ではなく、前記認定を左右するものではない。

(4) 原告が平成五年七月三日に本件配転命令を発令した後、同年七月一二日、東京ユニオンの酒井委員長、高井書記長、被告、相良、小笠原らが組合結成の通知書等(〈証拠略〉)を持参して総務部月山本部長に面会に行った際、月山本部長が高井書記長らの話を聞こうとせず、机の引き出しからインスタントカメラを取り出して東京ユニオンの酒井委員長、高井書記長の顔写真を写真に撮ったことは、前記のとおりである。さらに、(証拠略)によれば、同年七月二〇日、高宮理事長及び松田統括総局長が出席し、代々木ゼミナールの部課長等を集めて会合が持たれたが、その席上で、高宮理事長が、被告が自分のために仲間を労働組合に引き込んだとして非難し、松田統括総局長も、代々木ゼミナールの一枚岩を壊そうとすることは許されないと発言したこと、同年七月二二日、月山総務本部長が、同年七月二八日一三時三〇分の打合せ必要資料として次の項目等を記載した文書を安藤広報企画部長に渡し、同年七月二六日までに準備するよう求めたこと、その項目等は、「(1) JEC組織図 全国組織・人数・業務内容(詳しく)」、「(2) 浜松校の組織図・業務内容」、「(3) JEC概要書・謄本 設立年月日・目的他」、「(4) 井出(ママ)の元所属の業務内容・本人の担当業務内容」、「(5) 職員採用時に大卒・高卒・女子の会社としての採用目的(例幹部候補)」、「(6) 過去に遠方転勤等の事例及配転等の発令時期(定期的か…)」、「地方へ転勤に対する会社としての本人への配慮(住居・生活権)」、「7/3付発令の五名の必要性 何故当人か」、「自己申告書の書式(本人のもの)」、「井手解雇後の後任人選 ・JEC籍→JEC籍 ・他籍→出向(この方が良い)」、「浜松校にて井手の担当する所属業務内容」、「井手に対し赴任のすすめ 上記を賞罰委員会議事録に」というものであったこと、そこで、安藤広報企画部長が、同年七月二五日ころ、人事本部長宛に同年七月一日付けで、被告の後任に西岡茂雄を希望する旨を記載した「理由書」と題する書面(〈証拠略〉)及び「本人の業務内容」と題する書面(〈証拠略〉)を作成したこと、安藤広報企画部長は、同年七月二八日の打合せには、右「理由書」と題する書面のほか、「本人の業務内容」と題する書面、「広報企画部広報課」と題する書面(〈証拠略〉)を用意したこと、これらの文書は、安藤広報企画部長が広報企画部の自分の机に保管していた文書を何者かがコピーしたものであること、同年八月一一日、高宮理事長及び松田統括総局長が、総務部等の幹部らを集めて「消防警備本部の編成会議」なるものを開き、結成の通告を受けた労働組合に対する防御態勢を整えたことが認められる。

以上の事実を併せて考えると、代々木ゼミナールの経営者側は、労働組合結成の通知直後から労働組合に対して神経を尖らせており、情報を集め、防御態勢を整備しようとしており、これらの事実に基づいて考えると、このような措置が、結成の通告を受けてから始まったとは考えにくく、被告らが組合結成の準備行動として同期会、花見の会等のイベントを企画、実施した際に、代々木ゼミナールの経営者側が既に警戒心を持って動きを探ろうとしたと考えるのが合理的である。

したがって、右各事実は(1)の認定を補強するものである。

(5) 以上の事実によれば、代々木ゼミナールの経営者側幹部らが代々木本部における労働組合設立の動きを警戒し、情報収集に動いていたことがうかがわれ、被告に対する本件配転命令が相良由樹子に対する出向命令とともに発令された点等、代々木ゼミナールの経営者側に不当労働行為意思のあったことをうかがわせる点がないとはいえない。

しかしながら、代々木ゼミナールグループにおいては平成五年五月期に人事異動が行われたのであり(〈証拠略〉によれば、同年五月一六日付けで転居を伴う配転、出向が二例あったことが認められる。)、同年三月の同期会、花見の会の際に、被告が労働組合を結成しようとする中心人物であるとして代々木本部の上層部にマークされ、さらには、同年四月二〇日の一〇項目要求確定後に被告が代々木校の中で説得活動を開始したことから、同様のマークを受けることになったとすれば、他の者についても異動がある同年五月期に本件配転命令を発令する方が目立たないことになるから、当然そのように発令されたはずである。しかるに、被告については、同年五月期には異動の対象とならなかったことからすると、同年三月の同期会、花見の会の際に、被告が組合活動の中心人物であるとして代々木本部の上層部にマークされ、あるいは同年四月二〇日の一〇項目要求確定後に被告が代々木校の中で説得活動を開始したことから同様のマークを受けることになったとは考えにくい。

そうすると、同年五月一三日に被告が代々木ライブラリーの田中常務から、三鳩社の杉尾専務が被告のことをマークしている、気を付けるようにと注意を促されたことがあったこと、同年六月二九日の「酒場のドン」で被告ら参加者の間で組合設立の話が盛り上がったことがあったが、後日、原告人事課の奥村課長代理がその際の参集者について職員に尋ねたことがあったことのほかには、証拠上代々木ゼミナールの経営者側幹部らの不当労働行為意思と本件配転命令との架橋となるべき事実は見出し難いが、これらだけでは本件配転命令が右不当労働行為意思に基づいて発せられたものであることを認めるに足りないといわざるを得ない。なお、同年六月二九日に「酒場のドン」で気分が高揚して組合活動のことを話題にして盛り上がり、そのことがその場に居合わせた者から上層部に通報され、本件配転命令に至ったと言うのは、いささか出来すぎの話であるとの観があり、被告らが本件配転命令後振り返ってみて、あの時に不用意な発言でもあって何かをつかまれたのではないかと推測したという限度では理解できるものの、その推測を証拠により結実させるには至っていないといわざるを得ず、そのような事実を認定すること自体できないというべきである。

(三) 前記のとおり本件配転命令についての配転の必要性が認められるところ、前記各事実、証拠だけでは、本件配転命令につき代々木ゼミナールの経営者側幹部らに不当労働行為意思があったことを認めるに足りないから、本件配転命令が不当労働行為に当たるということはできない。

3  本件配転命令と権限濫用について(争点3)

(一)(1) 前記(第二、一「争いのない事実等」)のとおり、次の事実が存する。

原告は、肩書地に本社を置き、浜松市に浜松事務局、全国の主要都市にある代々木ゼミナール関係の学校に支局を設置し、従業員三六三名(うち出向者一七五名)を有している。原告は、学校法人高宮学園及び学校法人東朋学園とともに、いわゆる代々木ゼミナールグループを構成している。代々木ゼミナールの校舎は、代々木校、原宿校、千駄ケ谷校、池袋校、立川校、町田校、横浜校、大船校、津田沼校、柏校、大宮校、高崎校、札幌校、仙台校、新潟校、浜松校、名古屋校、京都校、大阪校、大阪南校、神戸校、岡山校、広島校、小倉校、福岡校、熊本校等がある。

原告の社員就業規則(〈証拠略〉)には、異動につき「会社は、社員に対して業務上必要がある場合は、社員の就労場所または従事する業務の変更を命ずる。」、「社員は指定された期日までに赴任しなければならない。」との規定があり(一二条一項、二項)、出向につき「会社は、社員に対して、業務の都合により関連の学園・会社へ出向を命ずることがある。」、「社員の出向については別に定めるところによる。」との規定がある(一三条一項、二項)。また、原告の出向規程(〈証拠略〉)には、「この規程で出向とは社員が在籍のまま、命令によって一定期間他社または他学園(以下出向先という)の業務に従事するため転出することをいう。」、「会社は社員を出向させる場合、人事発令の七日前に本人に内示し、出向先における労働条件、担当する業務、出向期間、その他とくに必要と認められる事項を明示して、人事発令をするものとする。」との規定がある(二条、四条)。

(2) 証拠(〈証拠・人証略〉、被告(反訴原告)本人)によれば、次の事実を認めることができる。

昭和六〇年五月から平成五年五月までの間に代々木ゼミナールグループ内で転居を伴う配転、出向を命じられた者は九〇名に及んでおり、異動、出向先も代々木校から福岡事務所(当時)、名古屋校から代々木校、仙台校から代々木校、代々木校から新潟校、代々木校から大阪事務所(当時)、名古屋校から原告広島支局、大阪校から原告広島支局、代々木校から大阪校、原告業務部企画課から原告名古屋支局、代々木校から原告広島支局、代々木校から原告京都支局、代々木校から原告札幌支局等への広域異動等が行われていた。原告浜松事務局への異動を見ても、平成二年一二月二一日には西村昌久が原告業務部企画課から、平成三年五月一六日には尾崎武彦が名古屋校教務部教科業務課チーフから異動していた。なお、同年一月には塩澤卓能、鈴木雅幸及び古田昌巳が名古屋校から原告浜松事務局へ異動していたが、転居を伴うものではなかった。

また、平成五年五月一七日から平成六年三月三一日までの間を見ても、配転、出向を命じられた者は、延べ三九人中二人と割合は少ないが、名古屋校から原告浜松事務局、札幌校から津田沼校への広域異動等が行われた。

(3) 証拠(〈証拠略〉、被告(反訴原告)本人)によれば、次の事実を認めることができる。

被告は、昭和六〇年三月二一日朝日新聞に掲載された「代々木ゼミナール、JEC日本入試センター」名義の「学校職員募集―代々木ゼミナール」という広告を見て応募したが、この広告には「勤務地▽代々木・横浜・大船・津田沼」という記載があった。また、被告が当時入手した代々木ゼミナールの昭和六〇年度の募集要項には、勤務について、「職種 教科編集部、進学指導部をはじめとして、各校各部署および各グループ」、「配属 代々木ゼミナールグループ 1 学校法人代々木ゼミナール各校(中略)3 日本入試センター本部および各支局(以下略)」、「勤務地 〈1〉東京 〈2〉神奈川 〈3〉千葉 〈4〉札幌 〈5〉仙台 〈6〉名古屋 〈7〉大阪 〈8〉福岡 〈9〉新潟」と記載されていた。この当時は、代々木ゼミナールグループとしては、代々木校、原宿校、大船校、津田沼校、名古屋校、札幌校、仙台校、新潟事務所、大阪事務所、福岡事務所だけがあり、浜松校、京都校、神戸校、岡山校、広島校、小倉校、熊本校は、まだ開設されていなかった。

前記のとおり、被告は、平成四年一一月一六日ころ、「転居を伴う転勤はできない」という項目に丸を付けて自己申告書を提出したが、この事実を根拠に、本件雇用契約において、被告の勤務地を首都圏に限定する旨の合意がされたものと認めることはできないし、他に本件雇用契約において右合意がされたことを認めるに足りる証拠はない。

(二) (一)の各事実によれば、原告は、業務上の必要があれば、個別的同意なしに被告の勤務場所を決定し、転勤を命じて労務の履行を求める権限を有していたものと解するのが相当である。もとより、転居を伴う転勤が労働者の生活関係に少なからぬ影響を与えることとなるから、原告の右権限は、無制約に行使することができるものではなく、これを濫用することは許されないが、当該転勤命令につき業務上の必要性が存しない場合又は業務上の必要性が存する場合であっても、当該転勤命令が他の不当な動機・目的をもってされたものであるとき若しくは労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき等の特段の事情の存する場合でない限りは、当該転勤命令は権利の濫用になるものではないというべきであり、右の業務上の必要性についても、当該転勤先への異動が余人をもっては容易に替え難いといった高度の必要性に限定することは相当ではなく、労働力の適正配置、業務の能率増進、労働者の能力開発、勤務意欲の高揚、業務運営の円滑化など企業の合理的運営に寄与する点が認められる限りは、業務上の必要性の存在を肯定するのが相当である(最高裁昭和六一年七月一四日第二小法廷判決・裁判集民事一四八号二八一頁、判例時報一一九八号一四九頁、判例タイムズ六〇六号三〇頁、労働判例四七七号六頁参照)。

(三)(1) そこで、この見地から検討すると、浜松校に管理職を増員する経営上の必要があったこと、人選の合理性が認められること、したがって、本件配転命令の業務上の必要性が存したことは1で述べたとおりである。

(2) 証拠(〈証拠略〉、被告(反訴原告)本人)によれば、本件配転命令当時、被告は、妻ひろ美及び三人の子並びに被告の両親と現住所の一軒家に同居していたこと、三人の子は、長男健太郎が小学校三年生、長女加奈子が小学校一年生及び生後二箇月の次女美早であり、子供たちを育てるには被告と妻が力を合わせることが必要であったこと、七〇歳になる父と六三歳の母は、地域の中でボランティア活動や政治活動に従事することを生きがいとするようになり、忙しい毎日を送っていたこと、そのため、家事や育児は妻ひろ美が主に責任を負っており、被告は、帰宅すると、子供の勉強を見たり、家事を手伝ったりしていたこと、被告は、一軒家を増築し、ローンの支払を負担しなければならなかったこと、当時の被告の手取り賃金は、月額二八万六九〇〇円であるが、毎月のローン返済額が八万円であり、被告の給与だけでは家計に余裕はなかったこと、一家そろっての浜松転居は、高齢な両親の地域での活動の楽しみを奪うことになり、生活環境を激変させるもので好ましくなかったし、原告が用意した三DKの社宅でも、被告一家全員が移り住むには手狭であったこと、他方、被告の両親が東京に残る形で被告が妻子とともに浜松に転居することは、両親に何かあったときに被告らに大きな負担となることが懸念され、二重生活による支出の増加も見込まれたこと、被告の単身赴任も、右同様二重生活による支出の増加をもたらし、被告の妻の負担を増加させるものであったこと、以上の事実が認められる。

しかしながら、他方、原告は、浜松に三DKの社宅を用意し、その賃料全額を賄う住宅手当の支払を申し出ていた上、課長手当月額三万円を支給することとして被告の経済的負担に対する配慮をしていたのであるから、これらの事実をも併せて考えると、本件配転命令が被告に与える家庭生活上の不利益は、転勤に伴い通常甘受すべき程度のものというべきである。

(3) 被告は、本件配転命令が被告の労働組合活動を不可能にするものであった旨主張するが、本件配転命令が被告に対し、転勤に伴い通常甘受すべき程度を超える重大な不利益を与えるものであったことについては、これを認めるに足りる証拠がない。

(4) したがって、本件配転命令は、権利の濫用に当たらないものと解するのが相当である。

4  本件解雇の効力について(争点4及び5)

(一) 不当労働行為の成否について(争点4)

本件配転命令が不当労働行為に当たるということができないことは、前記のとおりであるから、本件解雇が無効であるということはできない。

(二) 解雇権の濫用について(争点5)

(1) 本件配転命令が原告の権限濫用によるものであると言えないことは既に述べたとおりであるから、本件解雇が解雇権の濫用により無効であるということはできない。

(2) 被告は、原告が、従業員に対して不利益を余儀なくさせる配転命令を発するには、事前に打診して話合いの機会を持ち、又は仮に事後であっても、業務上、経営上の必要性並びに人選の基準及びその経過を具体的に説明すべき信義則上の義務を負うと主張する。

前記のとおり、被告は自己申告書中「転居を伴う転勤はできない」との項目に丸を付けて原告に提出していたのであるから、原告としては、本件配転命令に先立ち、事前に打診して話合いの機会を持ち、被告を納得させるように努めることが相当であったし、本件配転命令発令後であっても、業務上、経営上の必要性並びに人選の基準及びその経過を可能な限り具体的に説明して被告を納得させることが望ましかったといえる。

しかしながら、本件雇用契約において被告の勤務地を特定する合意がされていたということができないことは既に述べたとおりであるし、本件配転命令発令後、原告が、被告に対し、浜松校における生徒数の減少に対応した市場調査と開拓が課題となっており、浜松校の人的構成を拡充する必要があったこと、そのため、広報企画部広報課においてマーケティングやダイレクトメールの業務に従事したことのある被告に白羽の矢を立てたなどと説明したことは、被告が自認するところであって、原告としては、配転の必要性、人選の合理性についても一応の説明を行ったものということができる。

被告が問題としているのは、何故被告が浜松でマーケティングやダイレクトメールの知識を活かす必要があるか、また、活かす機会がどこにあるか、被告が人選されるまでにどのような検討がされたのかについて、被告が納得できるような説明がされなかったことにあり、要は被告以外に適任者がいない事実が示されなかったから納得できないというにほかならないが、原告がここまで説明しなければならない信義則上の義務を負うと解することはできない。

被告の右主張は理由がない。

三  結論

以上の次第であって、原告の本訴は確認の利益がないから不適法として却下し、被告の反訴請求はいずれも理由がないから失当として棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条、六四条ただし書を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 髙世三郎)

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